説教 20211219ルカによる福音書2章8~21節「大いなる喜びの胎動」

― 隠れたる神を探せ ―

 クリスマスは救い主イエス・キリストの降誕日です。この時期、街に出ますとマーケットやショッピング街にはクリスマスソングが流れて心地よくクリスマス気分を盛り上げてくれます。楽しい曲、美しい曲ありですが、それじゃあ肝心のイエス・キリストはどこに登場するのかなと思うと中々見えてきませんね。クリスマスプレゼントにもクリスマスケーキにもイエス・キリストは見えてきません。それというのもじつはイエス・キリストがお生まれになられた時から、この赤子イエスは隠されてしまったようなものだったからです。隠されてしまった、埋もれてしまったと言ってよいでしょうか。

 赤子イエスはベツレヘムのとある厩舎すなわち家畜小屋で生まれました。宿屋は人々で満員だったからです。生まれたばかりの赤子イエスはただの布にくるまれて薄暗がりの中で家畜の餌を入れる飼葉桶に寝かされました。

 そしてどこか寂しい情景へと目が移されます。それは荒野に「野宿」する羊飼いらの姿でした。それは「夜通し」寒空の下に羊たちの番をする闇夜の光景です。彼らは暗闇の中で何十匹あるいは何百匹余りの羊の群れを見守るたいへん辛い仕事に従事していました。静まり返った暗闇の中で彼らは凍えながら夜を過ごさざるをえませんでした。

 その時、突如神の栄光の光が暗夜を明々と照らし出し天使が言ったのでした。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」それはあの家畜小屋に生まれた赤子イエスの誕生の喜びを知らせるものでした。そしてその赤子がすべての人々の救い主メシアであると言うのでした。さらに天使は言います。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と。それは「行って見つけよ」という促しでした。夜空に響きわたる「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」という天使の歌を後に羊飼いらはベツレヘムへと「急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」のでした。

 これがクリスマスの夜のことでした。でも繰り返しこれを読むと幾つかの気になる言葉や描写が浮かび上がります。あの「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」。つまり身重の女性も生まれ来る赤子イエスもはじめから客として数えられなかったのです。そして「飼葉桶」、新生児用の寝床などありません。また「野宿をしながら、夜通し」と続く暗さの連続です。クリスマスは陽の当たる目につきやすい日常生活の中ではなく、世間の喧騒から離れたところの目立たぬ出来事だったのです。

そこに羊飼いらに「乳飲み子を見つけよ」と天使は言います。そして彼らは「主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と言い「乳飲み子を探し当て」ようと急ぎます。「見る、見つける、探す」ことが何回も出てきます。そしてついに羊飼いらは見つけ探したのでした。ただ「え、まさか家畜小屋に?人のいる場所じゃないよ!」と驚いたのではないでしょうか。でもいったい羊飼いらはなぜ「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」を「あなたがたのために救い主」を認めることができたのでしょうか。

 トルストイという作家が書いた『靴屋のマルチン』というお話をご存じでしょう。年老いた靴屋のマルチンは妻も子も亡くして半ばやけになって過ごしていました。以前は読んでいた聖書も今は余り読みません。でも心にいつも神の優しい声を聞きたいと思っていました。そんなマルチンがまた酒に酔いつぶれているとどこかから声が聞こえてきました。「マルチンよ、わたしはイエスだ。クリスマスにわたしはあなたのところに行くから外をよく見ていなさい」と。不思議に思いながらもクリスマスの日にマルチンはイエス様を迎えるためお茶や食事を準備をして仕事場から外を見ていました。すると雪の降る中倒れている老人がいました。すぐさまマルチンは老人を家に入れて温かいお茶で元気づけました。その後また外を見ていると泣きわめく赤ん坊をしょった母親がいました。「昨日から何も食べていません」と言う母親に食事を出し赤ん坊にミルクを飲ませてマルチンは親子を送りました。もう夕方クリスマスの一日も終わるころまた声がしました。「この泥棒!リンゴをお返しッ」「ごめんなさい、赦してください」。聞くと子どもが空腹のあまりリンゴを盗んだのでした。マルチンはリンゴ屋に代金を払い少年にリンゴを渡して帰してやりました。とうに夜になってとうとうやって来なかったイエス様にガッカリしながらマルチンは眠ってしまいました。するとまたどこからか声がします。「マルチン、わたしはイエスだ。今日はよくわたしを迎えてくれたね」。驚いてマルチンは言いました「イエス様わたしはあなたを入れてません」。するとその声は言いました「マルチン今日わたしはこんな姿であなたに会ったよ」。そうすると朝倒れていた老人と赤ん坊をしょった母親そしてリンゴを持った少年が次々と現れては消えていきました。

 乳飲み子の救い主イエスは羊飼いらによって探し出され、賛美されることからその人生を始められました。クリスマスは教えます。みすぼらしい「飼葉桶に眠る乳飲み子を見いだせ」。それはこう言います。人々からはじき出された貧しき人の中にメシアはおられます、と。わたしたちの救い主はどこにおられるか、メシアはどんな姿をしておられるか、どこにさがすべきか。救い主は弱き人の中におられます。病気に悩む人、貧しさに打ちひしがれた人の中に、わたしたちが声をかけることを、手を差し伸べることを待っておられるでしょう。

田原吉胡教会(田原吉胡伝道所)

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