説教 20211205ルカによる福音書1章39~56節「クリスマスは希望を伝える」
― わたしを探し出す神 ―
「驚くべき恵み なんと麗しい響きだろう 私のように悲惨な者を救って下さった
かつては迷ったが、今は見つけられ、 かつては盲目であったが、今は見える」。
これはご存じの「アメイジング・グレイス」という歌の出だしです。これは「自分が探し出されたろ喜び」を歌った歌と言えます。作詞者ジョン・ニュートンは奴隷船の船長をしていたのですが、深く心に悔いてついに回心し牧師となりやがて奴隷反対の運動をするようになりました。そしてかつて奴隷たちをただの積み荷のように扱い売り飛ばした悲惨で非人間的な生き方に苦悩する自分を救い出した神の恵みを歌ったのでした。「よう君、こんな暗いところにいたのかい?ずうっと君のことを探していたんだよ。来なさい。いっしょに生きよう。」暗闇、絶望、行き詰まりの中で誰にも気づかれずにただうずくまっているようなわたしを、どうしてと思うくらい遠くからなのにたゆむことなく探して見つけ出してくれた神への驚嘆の気持が書かれています。虚無と絶望の中のどうしようもないわたしを訪ね求めてやって来られる神の恵みそして愛。じつはこれこそがまたクリスマスのテーマといえるのです。
クリスマスの出来事の中に登場するマリアは後に神の子イエス・キリストを生むこととなるおとめでしたが、決して身元のはっきりした人間ではありませんでした。マリアについての描写が出てくる聖書はこのルカによる福音書1章ですが氏素性が記されているのは夫となるヨセフだけでマリアのことは「いいなずけであるおとめ」としか書かれていません。さらにマタイによる福音書ではマリアのことは名前しか出ずおまけに婚約者ヨセフに関係なく子を身ごもっている状況しか描かれません。そしてマリアの賛歌を読むとき、後世「聖マリア」とか「神の母」というようにいわゆる「箔(ハク)」をつけて描かれる聖者像からは思いつかないような、ある面、陰を引きずったような女性ではなかったかと推察されるのです。でも聖書はさらりとマリアのことを書くだけでなくルカによる福音書ではこのように神からメッセージを受け祝福さえ与えられるのですが、このメッセージと祝福も現実のマリアには深く心を揺るがすものであったに違いありません。「天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」(28節)。「考え込んだ」には、うずくまるように過ごしていた自分独りの生き方の中に突然、真っ直ぐに語り込んできた人格への驚きがあらわれています。自分独りに閉じこもっていた自分を見つめる方、言葉をかける方がいたことへの驚きです。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(31節)。「神から恵みをいただいた」を「栄誉や褒美をもらった」などと考えることはできません。むしろそれは「神はあなたのことをずっと求めていた。探しつづけていた」ということです。神はあなたを忘れことはないということです。「あなたは身ごもって男の子を産む」。でも神はマリアに神の子を産むための手伝いをするようにと伝えたのではありません。神はその子をマリアに産ませることにより彼女と共にあろうとされたのです。神はマリアと分かち合い、マリアと語らい、心を交えるもの同士でいたいというメッセージだったのです。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(35節)。マリアが何か不思議な霊力で変えられるとか清められるということではありません。マリアという人間にあってマリアと共に神の救いを現わし実現しようという神の思いです。人間マリアなしでは願うところの救いを実現しようとは、神は考えないのです。
「神はわたしを探しわたしを求めて、その愛の救いをなそうとされた」。そのことに気づいたからこそマリアはあの讃歌を歌うのです。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」(46節)。
あえてこう訳しましょう。
「神はわたしを突き動かされた。わたしの心は救い主である神によって弾け飛ぶ。片隅に落ちこぼれていたわたしを神は探し尋ねてくださったから。もう誰がわたしを半端者といえよう。」
「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」(49節)。
「微々たるわたしに神はその力のすべてを注がれた。だからこそ言おう。主は偉大なりと」。
クリスマスとは闇を照らす光の到来にたとえられます。その闇とは暗黒に怯えふるえるか細い人間の姿です。その光とは闇の中にまで求め来てこのか細い存在の人間を抱いて喜ぶ神です。
人のつながりは人を愛し求めることから生まれます。他の誰とも取り替えられないあなたを求めることから生まれます。「あなたがいてよかった」。クリスマスには神はそう言われるのです。
0コメント