説教 20220102コリントの信徒への手紙二4章7~18

「だから、わたしは落胆しない」 ― わが床にいます主 ―

詩編23編の聖書はこう歌います。

 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。

主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。

あなたがわたしと共におられるからです。

あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。(詩編23編1~4)

わたしは今病院におります。甲状腺腫の治療のため入院をしており、新年の礼拝はこのように文書のお届けによって神の言葉をお伝えすることを申し訳なく思います。おゆるしください。ただこうして床の中から感じますのは、どんなところにもどんな時でも神は共にいてくださるなということです。かつては病気が治ったらまた仕事するぞとか好きなことできるぞなどと自分の行動や目的ばかりの気持でしたが今思いますのは、自分では一日でも早く終わりにしたいと思うような病気と言う場にさえ変わりなく神はいてくださることへの安心感みたいなものです。といいますか、むしろ「あ、ここでこそ神は待っていてくださったのだ」というホッとするような気持ちです。

「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」と読むと、心が主イエス・キリストの慈愛に包まれて言い尽くせない豊かさを感じずにおれません。わたしたちが新年を進んで行くには「緑の牧場」に「いこいのみぎわ」へと連れ立ってくださるこの牧者の導きこそが大切と思います。こんにち新年を思い描く時、なんと多くの人々が不安な気持ちになることでしょう。コロナ禍、難民、世界各国の摩擦、貧富差など襲いかかる多くの危機にわたしたちは怯えています。でもそのような怖れから主イエスはわたしたちを護ってくださいます。

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるから」と聖書は教えます。主イエスはわたしたちがどんな脅威の中で弱まっていてもしっかりと手を取ってすぐ傍らにいてくださるのです。

パウロは主イエス・キリストの十字架と復活の福音を伝えるために死に瀕するほどの困難な旅をした伝道者でした。「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした」(コリントの信徒への手紙二章11章23)。「死の陰の谷」とはパウロに生涯つきまとった苦しみの連続のことでした。ただわたしたちもパウロとかわらぬ苦しみや困難を経験することは多くあるでしょう。でもパウロは自分の「死の陰の谷」や苦しみ、辛さを人にひけらかすような苦労話にしてはいないのです。

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」。

「土の器」であるわたしはどんなにか辛い苦労をしたことでしょう、などとパウロは少しも言いません。彼はこういうのです「なんと素晴らしいことでしょう、こんな弱い自分に、苦しみに太刀打ちさえできない無力な自分に限りない永遠の神の力が現われてはたらくのです」と。自分が強いのではない。強くなくてよい。神がわたしと共にいてくださるだけでわたしは強いのだ。

「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」。

わたしに生きているのはわたしではない、神がわたしに生きてくださる。だからわたしは打ちのめされても絶望しない。わたしがすべてを失った時、神がわたしのすべてとなってくださる。

病気の時に健康で元気だった時に見えなかったものが見えてきます。悲しみや弱さの中でついに見えてくるものがあります。それは神の恵みのはたらきです。

「『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(12章9)。

この新しい年はふたたび神がはたらいてくださる年になるでしょう。主イエスがわたしたちの牧者となり、わたしたちを慈しみ、日々のうちに「緑の牧場」と「いこいのみぎわ」を与えてくださいます。わたしたちの弱さの中に行き止まりを見るのでなく「神の力のはじまり」を見ましょう。

神はいつもわたしたちを立ち上がらせ、希望を与えて、身も心も新しくしてくださいます。

<祈り>

造り主なる神様、

この新年に祈ります。

天地が荒れすさび、わたしたちが迷い悩む時、わたしたちに目を注ぎ、

わたしたちのそばに共にいてください。

わたしたちに絶望に負けない勇気と平安を与えてください。

わしたちの痛み苦しむ友を助けてください。

主イエス・キリストが十字架の死であなたに祈られ、

復活して希望の力を現わしてくださいましたように、

わたしたちを「あなたの言葉」によって強くしてください。

自分のことでも隣人のことでもわたしたちが泣く時、互いに励まし合って、

涙を祈りへと変えることができますように。

わたしたちと共におられ、わたしたちを繋ぐ主イエス・キリストの名によって

この祈りをお献げいたします。

アーメン。

田原吉胡教会(田原吉胡伝道所)

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