メッセージ「都ではなく約束の地へ」
説教 20210815創世記12章10-13章18「都ではなく約束の地へ」
「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。 わ
たしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の
源となるように」。神が呼びかけるこの言葉に従い、アブラムは出発しました。故
里を棄て、すべてを伴って。なるほど父も死に、財も成し、もうハランの地で生き
て行こうとしていたアブラムでしたが彼に神が呼びかけられたとき、アブラムは神
の言葉に何かの始まりを感じたに違いありません。これまでの人生を終わらせる力
強さにみちた未来の輝きを信じたのでした。そしてそれを信じることによって人生
を再び動かしたのです。
ただ、こうして主の言葉に従って出発し約束の地カナンに到達したアブラムです
が、読むわたしたちにどうしても釈然としない彼の行動を創世記はこの後に描くの
です。神に導かれて約束の地カナンにやってきたアブラムでしたが、彼がどこまで
神を信じていたかはあやしいところがあります。「その地方に飢饉があった」時、
アブラムはカナンを去り豊かな大都会エジプトへ渡ってしまったのです。神から与
えられたその地に飢饉があり、確かに耐えられないような状況であったようですが
、彼は意外にもあっさりと約束の地を去ってしまうのです。そして当時この世界で
もっとも豊かさを誇っていた大都会のエジプトに生き延びる道を見つけようとしま
した。いったいアブラムの心の中で神はどこに行ってしまったのでしょう。折角の
約束の地を放り出して!
アブラムにとって約束のカナンと都エジプト。じつはここに神が新しい地を約束
すると同時にそこでアブラムが「祝福の源となるように」と語りかけられたあの言
葉のほんとうの意味が明らかにされていくのです。
約束の地を去り都エジプトに頼ったアブラム。ただ聖書はここでアブラムをたん
なる悪しき反面教師のように批判したり叱責するために描いているようには思えま
せん。このアブラムの人間像はありのままの信仰者の姿を映しているのではないで
しょうか。神から恵みや希望を与えられてそれに従いますと言っておきながら、次
にはケロリと忘れて行動してしまう。まるで神の恵みを忘れるのが本能のように!
ここで思い出しますのが主イエス・キリストの弟子であったペトロの人間像です
。彼は一番弟子でしたが、じっさいは信仰者と不信仰者の間を行ったり来たりする
人間でした。「あなたはメシアです」と立派な告白をした直後「十字架にかかるな
どと言ってはなりません」などと主イエスの決意をまったく無視した意見をしたり
、「死んでもついて行きます」と言いながら鶏が鳴く前に「あんな人間のことは知
らない」と叫んでしまいました。「なんだアブラムもペトロもそんな人間か。もっ
とマシな人間が出てくるかと思ったのに」という人がいるかもしれません。いえい
え!聖書が描くのはそんな人間なのです。だからこそわたしたちは聖書を読めるの
です。いや聖書はこんなわたしたちを問題にするのです。神を忘れてしまう本能す
なわち罪ある人間であることを知りつつ、神はそんなわたしたちのために神であろ
うとし、約束し愛を与えてパートナーとなろうとされるのです。ユダヤ人の始祖、
イスラエルの父と尊ばれるアブラムも元をただせばなんら特別な存在意義を持った
人間ではありませんでした。ただ神がアブラムと出会ってくださったことからアブ
ラムは歩むべき道を知り、行くべき目的地を目指せるようになったのでした。
しかし聖書はここにアブラムの約束違反をあからさまに描きます。「飢饉」とい
う生死にかかわる状況とはいえ、アブラムは約束の地を立ち繁栄の地である都エジ
プトへ。
しかし聖書が問題視するのはこれからです。都に入ろうとした時まさにアブラム
は思わず言葉を失うような悪辣な策を弄します。それはエジプトで身を守るためか
、はたまたとり入って自分の地位を上げようとするためでしょうか。自分の妻を妹
と偽りエジプト王に目をかけさせます。この世の豊かさや幸せのため神の地を棄て
る罪に加えて、このエジプトという人間社会で成り上がるために自分の妻をも犠牲
にすることを厭いません。意図したとおりかエジプト王はサライに目を留め宮廷に
召しかかえます。こうしてアブラムは異郷のエジプトで命を守るどころか富をさえ
獲得したのです。自分の身を護るため自分の大切な妻をさえ犠牲に出すという恐ろ
しい程に神に反する謀略でした。これが神に従って出発した信仰者とは思えないよ
うな都エジプトでのアブラムの姿でした。
そして災いがくだりました。宮廷に恐ろしい病気が広まり、先ず神の裁きに気づ
いたのはエジプト王でした。まさに知らずと他人の妻を自分の妻としようとした王
はアブラムにエジプトからの退去を命じたのでした。神の地カナンを棄て人間の支
配する都に生きようとした時、アブラムは神の創造の教えである夫婦のあり方まで
ないがしろにする人間となったのです。この世を上手く渡ろうとするときには神を
信じたアブラムさえ、このような邪悪ともいえる罪を犯してしまったのでした。
結局アブラムらは再びあの神の地カナン、ネゲブの地の上に立つのでした。それ
はある意味で、神の計画であったのかもしれません。しかし創世記はここからつい
に神の約束の地カナンがアブラムの真の定住の地となっていく過程を描き、なにゆ
えにこの地が祝福者アブラムへの約束の地なのかが描かれます。
カナンに戻ったアブラムはベテルとアイの間という地域にいったん住みましたが
、そこで甥のロトと定住地を分けます。それは財産の問題でした。家畜である羊の
放牧領域をめぐっての争いが原因であったようですが、共に財産の多かったアブラ
ムはロトに肥沃だった東部の低地帯を選ばせ、自分はその反対の西部の高地帯カナ
ンを住む地としました。ロトの選んだ低地帯は10節に「エジプトの国のように、
見渡す限りよく潤っていた」とあります。その地はエジプトのように豊かで人間の
賑わいがあり、しかし邪悪な住民もいたというのです。エジプトでの忌まわしい出
来事を思い出さないではおれません。アブラムは岩山や荒野の多い丘陵地カナンを
約束の地として選びました。それは後のエルサレムを中心とした一帯です。この国
分け物語のような出来事は神の約束と祝福の言葉によって締めくくられます。「さ
あ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの
土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大
地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えき
れないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなた
に与えるから。」
ついに「約束の地」とは何かが語られます。10節から13節が財産の問題で終
始するのに対し、11節から18節は財産のことではなく子孫のことが語られます
。それは人々の共同体のことであると言ってよいでしょう。羊という財産を飼う地
のことでロトと問題を感じたアブラムはそれをロトに譲りました。「エジプトのよ
うな」地は約束の地ではないのです。約束の地は財産を積み上げる地ではありませ
ん。約束の地とは「祝福」の地です。そこでは神がアブラムを祝福し、アブラムは
人々を祝福する。そして人々どうしがまた祝福し合うそのような地。それが約束の
地です。「祝福」は「愛」と言いかえてよいでしょう。神があなたを愛し、あなた
が隣人を愛する地、神と人の愛の満ちあふれる地それが約束の地です。
高岡清牧師
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