説教 20240707「奪う食卓、いや恵みの食卓を」

 マタイによる福音書14章1~21節

 そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。

 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の篭いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

 ここに二つの食事風景のようなものが出てきます。最初は宮廷です。領主のヘロデの誕生を祝う宴会でした。おそらく多くの客が招かれ当時のローマ風のもてなしがなされ奏でられる音曲とともに世界各地の山海の珍味や豪勢なご馳走が振舞われたことでしょう。煌びやかな宮殿広間で金銀の食器にうず高く盛られた食べ物に人々は圧倒され堪能したことでしょう。この時代とくにローマ帝国の宮廷貴族の間では宴会はほぼ毎日何がしかの理由を付けて催されていたといいます。この宴会にはある必需品が備え付けてあったといいます。それはクジャクの長い羽根でした。それは山と盛られた豪華な料理で満腹になりこれ以上食べられなくなった時、口から喉奥に羽根を差し入れて食べた物をすっかり吐き戻すための道具でした。こうして空になったお腹で貴族たちは再び豪華な料理に臨み、目一杯味わい楽しみ尽くすのでした。催す側の王や貴族たちは競って世界の珍しい食材を出し、アフリカや地中海そして東方のアジアなどからこれはと言わんばかりの珍味を披露します。それには象の局部とか猿の脳みそとかほとんど「ゲテモノ」というものもあったそうです。

 このヘロデ王の誕生日宴会もあんな料理こんなご馳走と例にたがわぬ盛大な賑わいであったに違いありません。でもこの「宴(うたげ)」はやがて行くべき祝いの頂点に行きついた時、言うに言われぬおぞましく退廃したその正体をイヤというほど表に曝してしまうのでした。輝かしく絢爛だった宴席の暗部にはどす黒く邪悪な企(たくら)みがうごめいていました。まさに輝き渡るこの王宮はその最深部にじつに暗黒の地下牢を隠し持っていたのです。そして王宮で祝杯をあげる者たちは内心では片時も絶えずこの地下からの声におびえ敵対しそれを抹殺しようとしていたのです。じつにその地下からの声とは神の声でした。洗礼者ヨハネが叫ぶ神からの警告の言葉でした。「王よ、あなたは弟フィリポを殺しその妻ヘロデヤを奪った。それは神と律法に反している。」地下牢からの叫びはあたかも心の奥底に押し留めても留めきれないほとばしりのように支配者たちをさいなみ続けていました。ヘロデはこれを恐れヨハネの殺害をためらいますが妻ヘロデヤは自分を責めるヨハネを亡き者にしようと謀ります。そして連れ子サロメの踊りへの報償の誓いをヘロデ王から引き出しヨハネを殺害させます。それはすさまじい欲望と身も凍る自己保身の駆け引きといえるでしょう。やがてヨハネの首が「盆」に載せられ、王から娘サロメにそして妻ヘロデヤにわたされます。こうしてこの華燭の宴会は最後にその忌まわしい実体をどこまでも曝け出すのでした。権力者は人間の死を食卓に上げるのです。それは人の命まで奪う食卓だったのです。

 「飽食」もまたこのようなことではないでしょうか。世界人口60億人のうち半分は食べ余し残りを棄てている。もう半分の30億人は餓えに面している。アジアで4億人が、アフリカで3億人が、ラテンアメリカで5千万人が重度の飢餓に瀕している。豊かそうな日本でも貧困率は15パーセント。私たちの食卓に貧しい人から奪ったものが載っているとしたらそれもヨハネの首かもしれません。

 しかしマタイはもうひとつの食卓の風景へと書きつづけます。「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。」

 それはまさに記録者マタイによる王宮の「命を奪う食卓」への真っ向からの挑戦となります。彼はヘロデの食卓に対決するイエスの真実の食卓を描いていくのです。「ひとり人里離れた所」とは絢爛たる王宮を否定するかのような対照的な場所です。権力によって人を集め、己が権威を称賛させるために人前に立とうとする王ヘロデでしたがイエスはひとりであろうとします。でもいつしかイエスを追って多くの人間が集まりそこにイエスの癒しが始まったのでした。そこでは人間の病と傷が露にされ人の苦しみとイエスの愛が向かい合って語り合うのでした。人々が自分の病と傷を隠さず打ち開く時、イエスはこれを「深く憐れみ、病人をいやされた」のです。

 しかしマタイの描写はイエスの癒しのわざで終わらない。それはさらに大胆にイエスのもとでの真の食事の光景をありありと描き出していくのです。ただそれは貧しく病める傷ついた人々の食事風景でした。読んで引き込まれるのはその静けさでしょう。何千人が空腹となればざわめきくらいは起きるでしょう。でも宴のざわめきも歓声もありません。イエスを前にして人々はひたすら黙して愛を待っていたのです。

 ここから始まる食事の情景は聖餐式をあらわしたものといわれています。五つのパンと二匹の魚。しかしそれ以上にイエスの食卓は大いなる創造です。この出来事はイエスの言葉が創造する食卓風景なのです。ここに描かれているものはイエスが始めるこの食卓はただ聖餐の風景ではなく主の食卓に着く時、そこに想像を絶したことが起きるということです。

 時は夕暮れでした。人々は飢えていました。しかしどうも弟子たちからは気弱な気持ちしか感じられません。彼らはイエスに人々を帰らせることを提案します。そして一人一人で食事をさせようと考えます。しかしイエスの答えはこうでした。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」ただ弟子たちが見るとパン五つと魚が二匹しかなかった。弟子たちにしてみれば無いに等しいものでした。「パン五つと魚二匹」はかえって絶望のしるしのようなものでした。不可能だったのです。事態を前に自分の無力と諦めそして放棄を思うしかなかったのです。でもイエスは言われた。「それをここに持って来なさい」。何を。「絶望も無力も諦めも持って来なさい」と言われた。無とも思える「パン五つと魚二匹」をイエスのところへ持って行ったのですがすでにすべては変わっていました。20節「満腹」という言葉があらわれます。この様子の変わりようはなんでしょう。イエスの祈りは「無」を超えたのでした。あたかも「無からの創造」のように食卓が出現していました。自分の無力も絶望もイエスの祈りにゆだねた時、弟子たちはすでに五つと二つから結果五千以上もの食を分け与えていたのです。

 聖餐とは創造です。苦しみも弱さも献げるとき、無からの創造のようにイエスから与えられた食卓は次には「与える食卓」を創造するのです。与えられた食卓は交わりの食卓となりさらに仕える食卓となるでしょう。そして聖餐はわたしたちを創造するのです。今まで自分には何もないと思っていたこのわたしも「仕える者」となるのです。イエスが祈っているのです。

田原吉胡教会(田原吉胡伝道所)

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