説教 20240519「神の約束へと帰れ 」創世記34章1節~35章7節

<聖句抜粋>

 町の門のところに集まっていた人々は皆、ハモルと息子シケムの提案を受け入れた。町の門のところに集まっていた男性はこうして、すべて割礼を受けた。三日目になって、男たちがまだ傷の痛みに苦しんでいたとき、ヤコブの二人の息子、つまりディナの兄のシメオンとレビは、めいめい剣を取って難なく町に入り、男たちをことごとく殺した。ハモルと息子シケムも剣にかけて殺し、シケムの家からディナを連れ出した。ヤコブの息子たちは、倒れている者たちに襲いかかり、更に町中を略奪した。自分たちの妹を汚したからである。そして、羊や牛やろばなど、町の中のものも野にあるものも奪い取り、家の中にあるものもみな奪い、女も子供もすべて捕虜にした。 

 「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」とヤコブがシメオンとレビに言うと、二人はこう言い返した。「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか。」

 神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。

説教

 こんにちのイスラエルとパレスチナの争いの始まりと言えるような出来事が34章から35章にかけて書いてあります。叔父ラバンのパダンアラムから神の約束に従ってカナンに帰って来たヤコブは、当時セイルに住む兄エサウと親愛を確認したのちシケムへと到達しました。シケムはのちに北イスラエル王国の中心となりイエス・キリストの時代にはサマリヤとなる地域ですが、この時代はアラム人のハモル一族が生活していました。シケムに入ったヤコブ達は彼らから百ケシタで土地の一部を買い取りそこに聖所を建て居住しました。しかしほどなくして事件が起きました。

 ヤコブとレアの間の娘ディナがその地のアラム人ハモルの子シケムによって汚されてしまったのでした。シケムは心底ディナを慕っていたようで、父ハモルをつうじて本気でディナとの結婚を友好的にヤコブの息子たちに申し出ます。しかしそれは一人の女性を辱めたという気持ちがあまり感じられないものでした。怒りのおさまらないディナの兄弟たちシメオンとレビはなんとかアラム人に仕返ししようとします。そこでディナの兄弟たちは一計を案じ、結婚は認めるがヤコブ一族の習慣である割礼をすることをシケムらに条件として提示するのです。ディナにぞっこんであったシケムは一も二もなく受け入れます。ただ、その割礼は結婚を望むシケム本人だけではなくシケムのアラム人全員に要求されたものでした。ディナと結婚ができる嬉しさに舞い上がったシケムはその地のアラム人に「あの人たちは良い人たちだ」とばかり全員に割礼を行わせるのでした。それはある面でシケムらが考えたイスラエル人との共存共栄のプランでもあったのかもしれません。

 ところがヤコブ一族とのこんな共存共栄を信じたシケムのアラム人たちの目算は完全に裏切られることになります。割礼を受け入れての結婚も一つの民となる共存共栄も真っ赤な偽りどころか恐ろしい罠だったのです。素直に割礼を受けたシケムのアラム人たちがその肉体的な痛みに苦しんでいるさなかに、シメオンとレビは荒々しく剣を振りかざしてシケムに乗り込み、父ハモルも息子シケムも手にかけ、ディナを連れ帰るに留まらず、町中のアラム人を撃ち殺し女子供も捕え彼らの財産も略奪してしまったのです。

それは聖書に記録されたイスラエル人とアラム人すなわちパレスチナ人との最初の対立と争いの事件だったと言えるでしょう。切っ掛けは姉妹ディナの凌辱です。「それはしてはならないことであった」と書いてあるとおり、もしもアラム人の習慣として略奪結婚のやり方だったとしてもヤコブたちには赦せないことだったのは当然でしょう。またこの結婚の拒否はイスラエル民族の純血主義を示そうとする意図があったとも言えます。しかしそれにしてもヤコブの嘆息は深く、息子たちのイスラエル中心主義的な蛮行を嘆きます。

 「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか」(30節)。それに対してシメオンたちは言いきります。「わたしたちの妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか」(31節)と。見ると創世記はこの争いや暴力に、彼らが何かの政治的な解決の道があってそれを終わらせたとは書きません。ただ神はこの後、これまでの凌辱だの復讐だのと血生臭く怒りにみちた人間のやり取りや暴力に目を向けず、ヤコブたちに道を示し移動を命ずるのです。それはベテルでした。

 「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい」(1節)。「さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る」(3節)。

 それはまだ若いヤコブが兄エサウとの確執から逃れて身一人で叔父ラバンのいるハランへ目指そうとするその最初に神の約束の声を聞いた「約束の場所」でした。かつて父祖アブラハムが満天の星を仰いで神の約束を信じ長く旅したのと同じく、今ヤコブはどんなに諍いにみちた人生でも彼を導きつづけた神の最初の約束へと帰ろうとするのでした。それは神が名付けられる「イスラエル」という民の本来の在り方を確認することでした。それは礼拝といえるでしょう。礼拝から神の言葉を聞き確かめることだったのではないでしょうか。こんにちのわたしたちと同じように、まったく神の求めから離れてしまい喧(かまびす)しい世間でのやり取りに疲れ果ててしまう時、神は「さあ」(1節)と言葉をかけ、わたしたちもあのヤコブのように「さあ」(3節)と応じて礼拝の場「ベテル」へと向かうことがゆるされるのです。「ベテル」とはまさに礼拝の場であり、神のみ心に出会い、その言葉と誓いによって新しく生かされる場所なのです。だからヤコブはそれを「エル・ベテル(神はベテルにいます)」と呼んだのです。

 わたしは高校生の頃、洗礼を受ける前に少し迷いました。それで一か月ほど教会に行かなかったことがあります。鮮明に憶えているのですが、もうギリギリになると目の前の町や道や人の景色がなんというか飽和してくるのですね。家の自分の部屋の様子までも自分を押し潰しそうに見えて「もう要らん要らん」となりました。恥を忍んでまた教会の席に着いたのですが、変な言い方もうそこで眠れるほどゆっくり休んで聖書の言葉に包まれることが感じよかったのです。その秋に洗礼を受けました。

 わたしたちの人生の日々は、この世間は世間として生きますが、けっしてそこで結末が着くわけではありません。そんな右往左往のような人生ですが、神を仰ぐ人間は必ずあの「さあ」を聞き、かけることができます。「あのベテル、エル・ベテル」に帰るのです。礼拝を巡ってその周りを生きていくことをゆるされているのです。そんな生き方はもうヤコブにもあったのでした。ヤコブはわたしたちと同じく礼拝によって新しく生き返らされた人間だったのです。

田原吉胡教会(田原吉胡伝道所)

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