説教 20230604 マタイによる福音書9章27-31節 「失われた羊のところへ行け」
― 家は組織にあらず、交わりなり ―
山上の説教後、イエスはガリラヤ地方の多くの人々の病や苦しみを癒しました。それでもなおメシアの救いがさらに多くの人から求められていることを覚えて、こう言ったのです。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」。それはご自分の救いの働きを弟子たちにも委ねて行わせようとするものでした。そしてイエスは弟子を12人選ばれたのでした。
12人の弟子の選抜と派遣はこのマタイによる福音書10章とマルコによる福音書では3章に、ルカによる福音書では6章にと3箇所に書かれています。そこでこの12人の弟子のことを少し紹介しましょう。
<シモン・ペトロ>
有名なのはガリラヤ湖周辺で召命を受けた弟子たちでしょう。シモンは最初の弟子で「ペトロ(岩石)」というニックネームで呼ばれます。弟子の内で最高齢のわりに実直素朴ゆえかイエスから大いに感心されたりそれかと思うと思わず口走った底の浅い言葉を叱責されたりします。イエスに「あなたこそ生けるメシア」と告白したばかりなのにその後十字架の死と復活をうちあけられるイエスを引き寄せて尊大にも忠告してしまいイエスから「あなたは神のことを思わず人のことを思っている」と批判されます。激情に駆られてしまう性格のようで、いよいよ十字架へと向かわれるイエスに「わたしも死にます」とばかりいきり立のですが、人から怪しまれるとニワトリが鳴く前に3度も「イエスを知らない」と言い切ってしまいます。でもイエスの復活以後は最初期の原始キリスト教会の指導者となり伝説ではローマの迫害にあって逆さの十字架に磔りつけられて殉教したのでした。ペトロはイエスにたいしてどこまでも純粋素朴でした。粗野なところもあったでしょうが、思慮の浅薄さを越えて主イエスに率直に従ったのです。
<アンデレ>
アンデレはそのペトロの兄弟でした。ペトロと違って気がつく人柄だったかもしれません。荒野で5000人の群衆にどうやって食べ物を与えようかという時、マタイ、マルコ、ルカは弟子の名は出てきませんが、ヨハネ福音書だけはイエスがフィリポを試そうとして群衆の処遇を問われます。フィリポは答えに窮するのですが、このアンデレが助け舟を出し一人の少年がパンと魚の弁当を差し出していることを告げたのでした。こうしてアンデレはフィリポの窮地を救ったのですが、フィリポはアンデレと同じガリラヤ北部のベトサイダ出身だったといいます。
イエスが12人の弟子を選んだ時、面白いのは先の3つの福音書がただ12人の名を列挙するのに対しヨハネ福音書は第1章35節以下に、先ずアンデレ、そしてシモン・ペトロ、フィリポ、別名ナタナエルのバルトロマイという順で弟子がイエスを知らせるように繋がっていきます。
<フィリポ>
フィリポの聖霊降臨以後の活動は使徒言行録にあります。はじめはサマリヤという異境の人々に福音を伝えていましたが、エルサレムとガザの間に来るとそこに馬車に乗ったエチオピアの高級宦官がイザヤの預言書を読み解くのに悩んでいるのを見つけ、フィリポは咄嗟に聖霊を受けて馬車に飛び乗り預言を解き明かし、イエスの福音を知らせるとそのエチオピアの宦官は「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と告白するまでになります。洗礼がすむとフィリポは即座に聖霊に連れ去られかつてのペリシテの町アゾトで宣教しました。こことおもえばまたあちらというように聖霊に従って自由に福音を伝える神出鬼没の使徒だったようです。
<バルトロマイ>
このバルトロマイはフィリポの知人のようでイエスのことを彼から知らされますがイエスがナザレの出ということを聞き「ナザレから何の良いものが出るだろうか」と言ってバカにしたのです。ところが実際にイエスに出会うと、イエスに自分がイチジクの木の下にいたことを見抜かれて心を動かされ従います。
<トマス>
弟子の泥臭い人となりは意外にヨハネ福音書が多く書いており、その代表の一人があのトマスです。ディドモと呼ばれるトマスというふうに出てきますが、弟子たちのうち唯一人、イエスの復活を知らされても信じなかった人物です。でも現れたイエスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語りかけられてようやく「わたしの主、わたしの神よ」と言えました。
こうして12人の弟子の約半分を見てきましたが、彼らはほとんど諸外国の異邦に赴き宣教して多くの人々を信仰に導きます。それはここでイエスが「イスラエルの家の失われた羊のところへ行け」という教えを突きつめ復活後の全世界への福音宣教に身を投じた道のりであったと言えます。
聖書を読むとイエス・キリストはむしろ宗教組織に反対したと思わせる描写があります。「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」にそれが表れています。「イスラエルの家」とは「イスラエル民族」のことですが具体的には「ユダヤ教組織社会」のことです。その中に「失われた」人々の存在があるというのです。たしかにバビロン捕囚以後絶え間なく他国の支配下に置かれたイスラエル民族は「宗教国家」としてしか民族の存立を守れませんでした。ただあまりに宗教国家の正統性を強固にしようとして、過度に厳格で細目な律法化をして宗教社会からこぼれ落ちる人々を差別するようになりました。自国内の病者、収税人、脱落者、貧者といった人々は「罪びと」と呼ばれました。そんな差別を生む「イスラエルの家」そして「ユダヤ宗教団体」を主イエスは批判します。キリスト教もこの世にあるような既成的な宗教団体のような地位を目指すならそれはイエス・キリストの言葉に反することになるでしょう。
大切なのは「失われた羊」をたずねて主イエスの神の国のおとずれを共にすることです。
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