説教 20230205 マタイによる福音書9章18-26節
「娘よ、心やすかれ、死にあらず」
― その言葉、生かしてやまず ―
「女こども」という言い方があります。今では災害などの時に「女性や子供たちを真っ先に助けることを優先する」というのは常識で、そんな「女こども」の言われ方は良いのですが、ひと昔前や時には今でも「女こどもの出る幕じゃない」などという言い方がされる時があります。それが助けを必要とする弱い立場の人間を表す言葉であればよいのですが、足らぬ者や劣る者さらには「不浄な者」とか「餓鬼」などと呼んで蔑視したり排除しようとする社会状況もありました。「女人禁制」などという決まりが昔はお寺や神社にありました。高野山とか富士山も信心の対象で女の人の入山は禁じられていたと言います。
じつは聖書も例外とすることはできないのです。レビ記の15章19節以下などでは女性の生理がまさに「不浄」とされていました。さらに不規則とか長期のそれはたんなる「汚れ」以上の「病、罪」とみなされていたのです。今日、イスラム圏のある国々では、ブルカというフェンシングのお面のような被り物で顔を隠すことを命じられています。イスラエルではそうではなくても女性はスカーフのような布で髪の毛や頭部をおおい隠していました。しかし外形的なこと以上に女性は家を代表する男性に選ばれ子孫を産むという役目へと固定され縛り付けられ、人生を束縛されていたのです。
ここでイエスはこの「女こども」のいわば抑圧され片隅へと追いやられたありかたに、立ち向かい戦いを挑むように見えないでしょうか。女性と少女二つの願いが折り重なるようにイエスに投げかけられたのでした。
最初に来たのは「ある指導者」でした。このマタイ福音書では半ページの物語ですが同じ内容が倍の一ページに及ぶ詳しさでマルコ福音書とルカ福音書にあります。そこでは「会堂長」昔の訳では「会堂司」とされ「ヤイロ」という名前も書かれます。こう言うのです、「わたしの娘がたったいま死にました」。「たったいま」。それは時間のことではないでしょう。この父親の前に立ちふさがった娘の死の現実になんとも逆らいがたい気持ちが見て取れます。そして「死にました」とまで彼は言うのです。「死にそうです」ではありません。「死んでしまった」のです。それは自分の娘までも襲った若年死の脅威の広がりをいうのでしょう。たしかに2000年以上前のこの時代、全ての子どもたちが生き延び成人になることはできませんでした。病死、事故死、多くの災害を乗り越えねば子どもは大人となるまで生きられませんでした。そしてこの指導者の娘も。
でも父親は言いました、「でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう」と。それまで多くの病者を癒してきたイエスの力を信じてそう言ったのでしょう。この告白に主イエスは即座に応えられました。
ところがイエスが指導者の家に行く途中、そこに一人の女性が後ろから近づき主イエスの服の房に触れたのです。彼女は12年間も出血に苦しみ、イエスに癒しを求めたのでした。12年の病は女性にとって一生を失うに等しい苦しみであったでしょう。そして律法からは「汚れ」の運命を負わされた女性でした。この場面はより詳しくマルコにもルカにも描かれています。しかしこのマタイ福音書はそれらとは決定的に違った描写をするのです。それは女性の出血が癒された時の違いです。マルコやルカでは女性が触れたとたん気付かぬうちにイエスの力が出て行き病が癒されます。後でイエスは誰が触ったか問われ女性が進み出ます。マタイではイエスは触れられた時、すぐに振り返って女性を見ます。そしてマタイはこう書きます、「イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。『娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。』そのとき、彼女は治った」。主イエスが彼女を見つめて言葉をかけられた時に彼女は癒されたのです。知らぬ間に力がイエスから出て癒したのでなく、イエスは言葉とともに癒したのです。ここにマタイ福音書のメッセージがあります。癒しは言葉によって実現します。そして言葉は向かい合おうとする関係の中にあります。
さて指導者の家に来てみるとそこは死がすべてのものから生気を奪っているような世界でありました。生き生きと過ごすはずだった12年をすべて奪われたあの女性と同じように、これから生きるはずの命を奪い取られた少女への悲しみが渦巻いていました。「笛を吹く者たちや騒いでいる群衆」とありますが当時の葬儀のごく普通の風習です。楽しく機嫌のいい音楽やはしゃぎではなく近親者の死の悲しみを強調したりあるいは紛らす騒がしい音曲でした。イエスが死んだ少女へと向かうところにも人々の泣きわめきや泣き騒ぎ、泣き悲しむという言葉がマルコやルカの福音書にいやというほど沢山書かれています。あまつさえイエスの「少女は死んだのではない。眠っているのだ」の言葉に人々は「あざ笑った」のでした。それほど死と一体化した世界でした。人々はまるで死の支配を高揚するように死を強要し、「命」を排除しようとする。これがわたしたちの最後の姿です。
しかし、主イエスは言ったのです、「少女は死んだのではない。眠っているのだ」。そして家から両親と弟子以外の「死を歌う群衆」をすべて「外に出」したのでした。それはこの家が死の葬儀から命の復活と再生の家へと変えられた瞬間でした。「イエスは少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった」。「タリタ、クム」という原語の呼びかけで有名な癒しの光景です。でもマタイ福音書はこうしたマルコの「謎めいた」物言いやルカの「霊が戻った」とかの状態の説明はしません。
なぜマタイ福音書のこの記述は短いのでしょう。最大の福音書なのにここばかりは他の半分の長さ。それはイエスが語られる言葉こそ癒しとなり、イエスに聞くことこそ信仰なのだとマタイは描こうとするからです。それ以外のイエスや人間の仕草や在りよう、信仰深い状態を書こうとは思わなかったからです。父親である指導者は少女が「生き返る」と信じ、長血の女性は「治る」と信じました。どちらもイエスと関わることを求めたのです。そしてイエスは彼らに真正面から向かい関わられたのです。主イエスはわたしたちのいるところへ来ようとされ、わたしたちのほうを見つめて手を差し伸べて言われます。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った」。「娘よ、心やすかれ、死にあらず」(文語訳)。
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