9月20日(日)礼拝と年長者祝福式のご報告
2020年9月20日(日)主日礼拝 出席者9名
「悔い改めは罪を告白する」と題しまして、マタイによる福音書3章1~12節より、高岡清牧師がメッセージを取り次いでくださいました。
「渇いている人はだれでも、わたしのところへ来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ7.38)と言われるように「渇き」は命の大敵です。その渇いた砂漠地帯に住む人々に「川」は命の源泉です。キリストの先駆者ヨハネはヨルダン川の水でバプテスマ(洗礼)を授けました。「ヨルダン」とは「下り来るもの」という意味で創世記物語のエデンの園の命の泉から流れ出る川にちなんだものです。ただ、ヨハネの洗礼は「悔い改めの洗礼」と呼ばれ、じつは「イエスクリストの名による洗礼」への準備とされています。前者は人に「罪の告白」をさせ神国へと向かわせる。そしてキリストによって洗礼は人への「復活のしるし」となる。罪を悔い改めない人が来ました。ファリサイ波らの人間です。「いつも律法を守っているから自分に罪はない」と考えている。彼らは「火」で焼かれるとさえ言われています。【今週の聖書から/週報より 高岡清牧師】
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本日は礼拝の後、『年長者祝福式』を感謝と喜びのうちに行なうことができました。年長者のこれまでの歩みが守られたことを感謝し、これからも神さまの恵みを受けつつ、信仰の仲間として共に歩んでいることをお祈りする時となりました。
新型コロナウイルス感染防止のため、お茶会など持つことはできませんでしたが、志計姉を囲んで記念撮影をしました。
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