9月6日(日)礼拝と証のご報告
2020年9月6日(日)主日礼拝 出席者11名
台風接近にともない風が強まる中、遠方から来られた方や、久しぶりに来られた方も与えられ、共に礼拝を持つことができました。感謝いたします。
「共に生きる始まり」と題しまして、旧約聖書創世記2章15~25節より、高岡清牧師がメッセージを取り次いでくださいました。
「男のあばら骨から女が造られたんだ。だから男の方が偉いんだ」と言われる人がいます。単純に考えるとそう誤解しやすいのですが、そうではありません。このほんとうのテーマが「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言われる神の言葉の中にあります。ここには「男がいて次に女があった」というような順番や上下の段階が書かれているように見えますが、じつは「ひとりひとりの人間には隣人が必要だ」という考えがこめられているのです。人間は主体性をあらわす「あばら骨」から造られたということは「その人」と「その人から造られた人」は”同等そして対等”ということです。「彼に合う助ける者」は隣人のことなのです。そして最も身近な「隣人」は「男女」です。【今週の聖書から/週報より 高岡清牧師】
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本日は礼拝の中で、刈谷教会の岡口米子姉が証をしてくださいました。米子姉は、昨年、代務牧師を務めてくださった平井牧師と共に、毎回礼拝にお越しくださり、今でも田原吉胡伝道所のことを祈り続けてくださる信仰の家族です。
戦時中に新潟県に疎開されていて、言葉の違いなどからいじめられ、幼少期はつらい思いをたくさんされました。はじめて教会に足を運ばれたとき、はじめていじめてこない子どもたちに出会って、驚かれたそうです。今の米子姉からはあまり想像できませんが、人と接することが苦手で自分を愛することもできなかったとき、”神さまから愛されている”ことを知り、とっても嬉しい気持ちになられたそうです。その後の信仰生活の中で、聖書勉強会や神学校の学びの場に積極的に参加されていたこと、岡口牧師と出会われ今日のメッセージの様に「助け手」となることを決意されご結婚されたこと、遣わされた教会の幼児教育に力を注がれ保育士の資格も取られたことなどをお話しいただきました。神さまからの呼びかけに、いつでも深く祈り、力を受けて真剣に学ばれ、できないこともできるように変えられてゆく、米子姉の人生の歩みに多くの励ましをいただきました。
証していただたことを感謝申し上げると共に、”生涯、子どもたちの伝道に携わる”と神さまに誓っておられる米子姉の歩みが、これからも祝福されますように、田原吉胡伝道所一同お祈りしています。ありがとうございました。
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